東京都現代美術館 「マーク・マンダースの不在」 ― 2021年06月03日

東京都現代美術館にて 「マーク・マンダースの不在」他の企画を観に行った。建物入口近くの木々の下に展示された顔の彫刻は、すでにインパクトがあった。
マーク・マンダース マーク・マンダースの不在
https://www.mot-art-museum.jp/exhibitions/mark-manders/
https://www.youtube.com/watch?v=3eZvVeugd4k&t=5s
ライゾマティクス_マルティプレックス
https://www.mot-art-museum.jp/exhibitions/rhizomatiks/
Tokyo Contemporary Art Award 2019-2021 受賞記念展
https://www.mot-art-museum.jp/exhibitions/TCAA_2019_2021/
MOTコレクション コレクションを巻き戻す
今年の夏、東京都現代美術館では7月17日から横尾忠則の大規模展覧会「GENKYO 横尾忠則 原郷から幻境へ、そして現況は?」が開催される予定。https://genkyo-tadanoriyokoo.exhibit.jp/
そして、丸の内のビルには高さ約150m、横幅約35m、総面積7000㎡以上となる横尾親子による巨大壁画アートが出現するそう。
企画のコンセプトとなるのは「宇宙 COSMO POWER」
http://www.tokyodaihekiga.jp/
こちらも楽しみだ。
写真はFBのアルバムに
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.3733853206674607&type=3
マーク・マンダース マーク・マンダースの不在
https://www.mot-art-museum.jp/exhibitions/mark-manders/
https://www.youtube.com/watch?v=3eZvVeugd4k&t=5s
ライゾマティクス_マルティプレックス
https://www.mot-art-museum.jp/exhibitions/rhizomatiks/
Tokyo Contemporary Art Award 2019-2021 受賞記念展
https://www.mot-art-museum.jp/exhibitions/TCAA_2019_2021/
MOTコレクション コレクションを巻き戻す
今年の夏、東京都現代美術館では7月17日から横尾忠則の大規模展覧会「GENKYO 横尾忠則 原郷から幻境へ、そして現況は?」が開催される予定。https://genkyo-tadanoriyokoo.exhibit.jp/
そして、丸の内のビルには高さ約150m、横幅約35m、総面積7000㎡以上となる横尾親子による巨大壁画アートが出現するそう。
企画のコンセプトとなるのは「宇宙 COSMO POWER」
http://www.tokyodaihekiga.jp/
こちらも楽しみだ。
写真はFBのアルバムに
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.3733853206674607&type=3
完熟の梅をコニャックに漬ける ― 2021年06月10日

梅の実の収穫時期が来た。
今年はコロナの影響もあり、新潟の家の梅の収穫は控えて市場で入手した梅を使うことにする。
いつも訪れる神奈川の直売所で見つけたのは、一般には出回らない種類の木の上で熟したもの。朝収穫したばかりのちょうどよい頃合いの梅が手に入った。少し黄色くなってきたところで、まだ柔らかくはなく、青梅よりも香りが楽しめる。
梅酒は焼酎よりもブランデーで漬けたものが好きで、毎年作っている。
今年は引っ越しの荷物の整理後ということもあり、いただきもののコニャックがいくつか飲みかけたまま残っていたので活用することにした。
東京も暖冬がちな近年、暖かい部屋で温まりながらコニャクを傾けるなんてシーンもなくなってきた。それにあまり度数の高いアルコールを処理しきれない年齢にもなってきたようで…。
いくつかの1Lから2Lくらいの保存瓶に入れるのは、一度冷凍した梅とエキスが抽出できる最低限の割合のハチミツとコニャックのみ。
あまり甘くすることなく香りを楽しみたい。今年涼しくなるころにはテイスティングができるかな、そしてさらに熟成させる。
湘南地域は海風が吹く高台が多く、気候が温暖なせいか、梅や柑橘類の種類もたくさん栽培され、一年中何かしらの果実が手に入るのがうれしい。我家の冷凍庫には、氷かわりに使うクラッシュした柚子を絞った果汁や檸檬や湘南ゴールドの輪切り、くし切りといろいろな用途に合わせて生の果実と一緒に常備してある。そろそろ柚子クラッシュに焼酎と炭酸の季節かな(笑)
今年はコロナの影響もあり、新潟の家の梅の収穫は控えて市場で入手した梅を使うことにする。
いつも訪れる神奈川の直売所で見つけたのは、一般には出回らない種類の木の上で熟したもの。朝収穫したばかりのちょうどよい頃合いの梅が手に入った。少し黄色くなってきたところで、まだ柔らかくはなく、青梅よりも香りが楽しめる。
梅酒は焼酎よりもブランデーで漬けたものが好きで、毎年作っている。
今年は引っ越しの荷物の整理後ということもあり、いただきもののコニャックがいくつか飲みかけたまま残っていたので活用することにした。
東京も暖冬がちな近年、暖かい部屋で温まりながらコニャクを傾けるなんてシーンもなくなってきた。それにあまり度数の高いアルコールを処理しきれない年齢にもなってきたようで…。
いくつかの1Lから2Lくらいの保存瓶に入れるのは、一度冷凍した梅とエキスが抽出できる最低限の割合のハチミツとコニャックのみ。
あまり甘くすることなく香りを楽しみたい。今年涼しくなるころにはテイスティングができるかな、そしてさらに熟成させる。
湘南地域は海風が吹く高台が多く、気候が温暖なせいか、梅や柑橘類の種類もたくさん栽培され、一年中何かしらの果実が手に入るのがうれしい。我家の冷凍庫には、氷かわりに使うクラッシュした柚子を絞った果汁や檸檬や湘南ゴールドの輪切り、くし切りといろいろな用途に合わせて生の果実と一緒に常備してある。そろそろ柚子クラッシュに焼酎と炭酸の季節かな(笑)
東京都写真美術館「世界報道写真展2021」 ― 2021年06月12日

「世界報道写真展2021」を見るために恵比寿の東京都写真美術館を訪れた。
毎回訪れるこの企画、今年は新型コロナの緊急事態宣言で開館できる施設も時間指定の予約が必要になり、そのおかげで混雑することもなく、雑談している人もなくスムーズに観覧できる。
この企画の作品は、地球の環境や人権問題、戦争や貧困、動物との共存にいたるまでたくさんの視点で問題をなげかけているものが多く時間をかけてゆっくりと見てまわった。
ここで世界の状況を知ることも多く、毎年いろいろな面で知識の蓄積ができる場所のひとつだとも思う。
同時期に開催されている「新・晴れた日 篠山紀信」も興味深い。
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写真は死んで行く時の記録。
嵐の日も雨の日も 僕が撮る写真は、いつも晴れた日。
(篠山紀信)
■東京都写真美術館 https://topmuseum.jp/
新・晴れた日 篠山紀信
https://topmuseum.jp/contents/exhibition/index-4019.html
世界報道写真展2021
https://www.asahi.com/event/wpph/
毎回訪れるこの企画、今年は新型コロナの緊急事態宣言で開館できる施設も時間指定の予約が必要になり、そのおかげで混雑することもなく、雑談している人もなくスムーズに観覧できる。
この企画の作品は、地球の環境や人権問題、戦争や貧困、動物との共存にいたるまでたくさんの視点で問題をなげかけているものが多く時間をかけてゆっくりと見てまわった。
ここで世界の状況を知ることも多く、毎年いろいろな面で知識の蓄積ができる場所のひとつだとも思う。
同時期に開催されている「新・晴れた日 篠山紀信」も興味深い。
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写真は死んで行く時の記録。
嵐の日も雨の日も 僕が撮る写真は、いつも晴れた日。
(篠山紀信)
■東京都写真美術館 https://topmuseum.jp/
新・晴れた日 篠山紀信
https://topmuseum.jp/contents/exhibition/index-4019.html
世界報道写真展2021
https://www.asahi.com/event/wpph/
薬師池公園にて菖蒲が満開に ― 2021年06月13日

久しぶりに両親を車に乗せて自然公園に散歩にでた。
毎月のように誰かしらと温泉を訪れていた日々も、少し制限がかかり、また自分や家族の引っ越しなどの雑事も重なり、近くに住む両親のところに顔は出すものの、中々よい距離を歩くまでは時間がとれずにいた。
薬師池公園の周辺は、毎週通っている乗馬倶楽部の近くでもあり、山のあたりから水辺にかけてほとんどの場所を歩いている。野鳥も多く季節の花々が咲くこの公園は幾度となく訪れている。
今回は「アジサイでも満開になっているかな」と軽い気持ちで来てみたら、菖蒲の花が満開になっていた。ほどよい傾斜の道は、日陰で心地よい冷たい風に吹かれながら歩けるのもシニア世代にはぴったりの散策路だ。
帰り際に蓮池の近くにカワセミがとまっていた。三脚もなく急な撮影にピントがあわなかったけど、今年はカワセミに遭遇する率がなんだか高い。
この時期は、朝のうちに散策を終え、お昼の暑くなる時間前に帰宅するのがちょうどよい。
来月には蓮の花が咲くだろう。
写真はFBのアルバムに
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.4176949002365023&type=3
毎月のように誰かしらと温泉を訪れていた日々も、少し制限がかかり、また自分や家族の引っ越しなどの雑事も重なり、近くに住む両親のところに顔は出すものの、中々よい距離を歩くまでは時間がとれずにいた。
薬師池公園の周辺は、毎週通っている乗馬倶楽部の近くでもあり、山のあたりから水辺にかけてほとんどの場所を歩いている。野鳥も多く季節の花々が咲くこの公園は幾度となく訪れている。
今回は「アジサイでも満開になっているかな」と軽い気持ちで来てみたら、菖蒲の花が満開になっていた。ほどよい傾斜の道は、日陰で心地よい冷たい風に吹かれながら歩けるのもシニア世代にはぴったりの散策路だ。
帰り際に蓮池の近くにカワセミがとまっていた。三脚もなく急な撮影にピントがあわなかったけど、今年はカワセミに遭遇する率がなんだか高い。
この時期は、朝のうちに散策を終え、お昼の暑くなる時間前に帰宅するのがちょうどよい。
来月には蓮の花が咲くだろう。
写真はFBのアルバムに
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.4176949002365023&type=3
武蔵野芸術大学 美術館アトリウムにて ― 2021年06月19日

「オムニスカルプチャーズ——彫刻となる場所」
「膠を旅する——表現をつなぐ文化の源流」が
武蔵野芸術大学の美術館アトリウムにて開催されている。
彫刻といっても、アーティストの使う素材やその手法も多岐にわたる。
そして、この美術館の建物は1967年に建築家の芦原義信が設計し、「ブルータリズムの影響を受けたモダニズム建築」といわれているもので、その空間との関係性による展示の構成も見どころとなっていた。
少し前に松濤美術館で開催されていた舟越桂氏の作品も展示されていた。観覧が予約制になってから、オープンなこのアトリウムでもゆったりと作品のまわりをたどることができた。
「膠を旅する——表現をつなぐ文化の源流」では、日本の伝統的な画材である膠についてその歴史や社会的背景について深く切り込んだ企画になっている。北方民族の魚膠文化についても触れていた。
膠となる大きな素材の現物を初めて見た。動物の命と共に生きてきた人々の英知が凝縮されていることを目の当りにした。様々な資料と共に映像もあり、未知の文化を知るにはとてもわかりやすい構成になっていた。
-----------------------------------------------------------
■企画解説より
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「オムニスカルプチャー」は、様々な思考や表現法によって拡張可能な彫刻において、彫刻の全方位性(≒omni)を示す、三沢厚彦による造語です。本展では、「オムニ」という彫刻の一つの概念をめぐって、多様なアーティストの作品が共生、あるいは対峙することによって、彫刻の新たな可能性を浮上させます。
-----------------------------------------------------------
武蔵野美術大学共同研究「日本画の伝統素材『膠』に関する調査研究」では、すでに途絶えてしまった膠づくりの歴史的・社会的背景を見つめ直すため、現地調査の旅を重ねてきました。牛や鹿などの骨や皮、魚の鱗や浮き袋などから溶かし出された動物性タンパク質を原料とする膠には、とりわけ皮革素材を製造する際に余る屑皮や残滓が多く利用されています。膠づくりの道筋をたどるとき、そこには皮革産業を中心とした各地の動物資源利用のあり方、さらには動物の生命を糧とする狩猟の風習といった、ひとつの文化の源流が見えてきます。調査では、大阪や兵庫に伝わる皮鞣し技術、軍需により発展した東京や埼玉の皮革製造業、北方民族における魚膠文化など、多岐にわたって取材が行われました。
-----------------------------------------------------------
武蔵野美術大学 美術館
https://mauml.musabi.ac.jp/
膠を旅する——表現をつなぐ文化の源流
https://www.youtube.com/watch?v=128vWyMogb0&t=194s
写真はFBのアルバムに
https://www.facebook.com/media/set?vanity=harumi.maezawa.1&set=a.3733853206674607
「膠を旅する——表現をつなぐ文化の源流」が
武蔵野芸術大学の美術館アトリウムにて開催されている。
彫刻といっても、アーティストの使う素材やその手法も多岐にわたる。
そして、この美術館の建物は1967年に建築家の芦原義信が設計し、「ブルータリズムの影響を受けたモダニズム建築」といわれているもので、その空間との関係性による展示の構成も見どころとなっていた。
少し前に松濤美術館で開催されていた舟越桂氏の作品も展示されていた。観覧が予約制になってから、オープンなこのアトリウムでもゆったりと作品のまわりをたどることができた。
「膠を旅する——表現をつなぐ文化の源流」では、日本の伝統的な画材である膠についてその歴史や社会的背景について深く切り込んだ企画になっている。北方民族の魚膠文化についても触れていた。
膠となる大きな素材の現物を初めて見た。動物の命と共に生きてきた人々の英知が凝縮されていることを目の当りにした。様々な資料と共に映像もあり、未知の文化を知るにはとてもわかりやすい構成になっていた。
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■企画解説より
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「オムニスカルプチャー」は、様々な思考や表現法によって拡張可能な彫刻において、彫刻の全方位性(≒omni)を示す、三沢厚彦による造語です。本展では、「オムニ」という彫刻の一つの概念をめぐって、多様なアーティストの作品が共生、あるいは対峙することによって、彫刻の新たな可能性を浮上させます。
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武蔵野美術大学共同研究「日本画の伝統素材『膠』に関する調査研究」では、すでに途絶えてしまった膠づくりの歴史的・社会的背景を見つめ直すため、現地調査の旅を重ねてきました。牛や鹿などの骨や皮、魚の鱗や浮き袋などから溶かし出された動物性タンパク質を原料とする膠には、とりわけ皮革素材を製造する際に余る屑皮や残滓が多く利用されています。膠づくりの道筋をたどるとき、そこには皮革産業を中心とした各地の動物資源利用のあり方、さらには動物の生命を糧とする狩猟の風習といった、ひとつの文化の源流が見えてきます。調査では、大阪や兵庫に伝わる皮鞣し技術、軍需により発展した東京や埼玉の皮革製造業、北方民族における魚膠文化など、多岐にわたって取材が行われました。
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武蔵野美術大学 美術館
https://mauml.musabi.ac.jp/
膠を旅する——表現をつなぐ文化の源流
https://www.youtube.com/watch?v=128vWyMogb0&t=194s
写真はFBのアルバムに
https://www.facebook.com/media/set?vanity=harumi.maezawa.1&set=a.3733853206674607
紫陽花の小径を散策 ― 2021年06月20日

武蔵野美術大学の美術館アトリウムで開催されている「膠を旅する--表現をつなぐ文化の源流」ほかの企画展示を観に行った。梅雨空の下、帰りにたくさんの紫陽花が咲く散策路にちょっと寄り道。
紫陽花がこんなにも群生しているとは知らずに訪れてびっくり。
色とりどりの花が梅雨空の下で咲きほこり、緑の木々も生き生きとしていた。自然の色は美しいと改めて視線を遠くになげる。
日々、ディスプレイの前で酷使している眼のためにも、こんな時間はとても大切だと思う。
写真はFBのアルバムに
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.4196315990428324&type=3
紫陽花がこんなにも群生しているとは知らずに訪れてびっくり。
色とりどりの花が梅雨空の下で咲きほこり、緑の木々も生き生きとしていた。自然の色は美しいと改めて視線を遠くになげる。
日々、ディスプレイの前で酷使している眼のためにも、こんな時間はとても大切だと思う。
写真はFBのアルバムに
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.4196315990428324&type=3
新馬に乗り、横っ跳びされる ― 2021年06月20日

馬と触れ合うたびに、いつも「馬は背に乗る人の感情を敏感に察知するのだな~」と感じる。臆病な草食動物である馬、自分の背の上で今日は人がどんな思いで動いているのかなと敏感に感じているようだ。
ある時、倶楽部に新馬がやってきた。
レッスンのための調教も終わり、初めて乗せてもらった時のこと。柵沿いをゆっくりと周っていたところ、あたりの聞きなれない音にかなり警戒しているのか耳をあちらこちらに動かしていた。野鳥がたくさん飛びかいその声もにぎやかで、時には馬場で水を飲んでいたり、近くを人が通りかかることもある。まだ同じ馬場に他の馬といることにも慣れていない…片隅には自分の姿が映る鏡さえある。
何週かゆっくりと速歩で回ったころ…柵の向こうに人が通りかかった。
キャッキャと甲高い声をだして歩いてくる幼稚園児が数人。足並みはゆっくりだったけども、急な聞きなれない声にびっくりしたのか足早になり思わず横っ跳びをした。
(馬の言葉にすると「ひぇー!」という感じかな(笑))
突然だったけど、手綱を強く持つと逃げようとしている馬もびっくりし転倒することもあるので、なんとか手綱を調整しながら自分のバランスを取って脚で減速するように落ち着かせ落馬は回避した。
それから大丈夫だというように同じ場所にわざと連れて行き、何もなかったようにゆっくりと速歩を続ける。いくつかのトラブル回避パターンがあるけど、いつも同じに行くとは限らないのが動物相手なところで、場合によっては瞬間的な判断が遅れヒヤッとすることもある。
ある日これと同じ場面が、前を行く別の人が騎乗しているときに起こった。馬は木々の音に驚いただけなので足早になり、落馬こそしなかったけど乗っている人自身がひどく怖がっているのがわかった。それから馬に乗ったまま馬場の中央で止まってしまった。
たぶん「また次に同じことが起こるんじゃないかな」という不安からか…。
後ろにいて「馬を落ち着かせて、何もなかったように歩けばよいのにな~」などと思っていると「馬がずっと前の林の中を見ている」と言いながら眺めている。そんな人の何気ない様子は、馬にどんなに不安を与えているだろう…前を行く馬も戸惑っているのがわかった、リーダーとして自分が信用できない人のいうことなどきくことはなく馬の脚も重くなる。
この倶楽部のレッスンはクラスごとになっていて、フリーのクラスは自分で課題を決めて広い馬場の中を各々がレッスンできる。フリーとはいえ指導する人が時折要所でアドバイスしてくれることもある理想的な練習方法だ。それゆえに、馬にとっては騎乗者だけが頼れる存在になる。
その後、その馬に乗っていた人は馬から降りてしまった。
レッスン後「どうしたら跳ねなくなるんだろう」などと話していたけど、馬の不安を取り除いてあげるしかないことに早く気付くといいなと思った。乗っている人が不安でいてはどうしようもない。
馬に乗るときには、平常心を保ちながら瞬時の冷静な判断力もかなり必要だと思う。説明するのは難しいけど、馬に何かをさせようと力を入れすぎることなく、馬が気持ちよく動けるように、何気なく背中を押す感じで騎乗できれば…自分が自信なく乗ったり、それでいて鞭を意味もなく使うなどは論外だ。
これも言うのは簡単なんだけど、騎乗しているときはかなりのマルチタスクで、自分の判断や反応が遅くてもトラブルは起こるものだ。何事も力をいれすぎたり、自分が先走ったり…うまくいかないのは普段の人の生活でも同じこと。
トラブルといえば、長いこと馬に騎乗していてみごとに「落ちた~」というのが一度だけある。それでも落馬未遂は何度もあるので、今度思い出してみよう。
ある時、倶楽部に新馬がやってきた。
レッスンのための調教も終わり、初めて乗せてもらった時のこと。柵沿いをゆっくりと周っていたところ、あたりの聞きなれない音にかなり警戒しているのか耳をあちらこちらに動かしていた。野鳥がたくさん飛びかいその声もにぎやかで、時には馬場で水を飲んでいたり、近くを人が通りかかることもある。まだ同じ馬場に他の馬といることにも慣れていない…片隅には自分の姿が映る鏡さえある。
何週かゆっくりと速歩で回ったころ…柵の向こうに人が通りかかった。
キャッキャと甲高い声をだして歩いてくる幼稚園児が数人。足並みはゆっくりだったけども、急な聞きなれない声にびっくりしたのか足早になり思わず横っ跳びをした。
(馬の言葉にすると「ひぇー!」という感じかな(笑))
突然だったけど、手綱を強く持つと逃げようとしている馬もびっくりし転倒することもあるので、なんとか手綱を調整しながら自分のバランスを取って脚で減速するように落ち着かせ落馬は回避した。
それから大丈夫だというように同じ場所にわざと連れて行き、何もなかったようにゆっくりと速歩を続ける。いくつかのトラブル回避パターンがあるけど、いつも同じに行くとは限らないのが動物相手なところで、場合によっては瞬間的な判断が遅れヒヤッとすることもある。
ある日これと同じ場面が、前を行く別の人が騎乗しているときに起こった。馬は木々の音に驚いただけなので足早になり、落馬こそしなかったけど乗っている人自身がひどく怖がっているのがわかった。それから馬に乗ったまま馬場の中央で止まってしまった。
たぶん「また次に同じことが起こるんじゃないかな」という不安からか…。
後ろにいて「馬を落ち着かせて、何もなかったように歩けばよいのにな~」などと思っていると「馬がずっと前の林の中を見ている」と言いながら眺めている。そんな人の何気ない様子は、馬にどんなに不安を与えているだろう…前を行く馬も戸惑っているのがわかった、リーダーとして自分が信用できない人のいうことなどきくことはなく馬の脚も重くなる。
この倶楽部のレッスンはクラスごとになっていて、フリーのクラスは自分で課題を決めて広い馬場の中を各々がレッスンできる。フリーとはいえ指導する人が時折要所でアドバイスしてくれることもある理想的な練習方法だ。それゆえに、馬にとっては騎乗者だけが頼れる存在になる。
その後、その馬に乗っていた人は馬から降りてしまった。
レッスン後「どうしたら跳ねなくなるんだろう」などと話していたけど、馬の不安を取り除いてあげるしかないことに早く気付くといいなと思った。乗っている人が不安でいてはどうしようもない。
馬に乗るときには、平常心を保ちながら瞬時の冷静な判断力もかなり必要だと思う。説明するのは難しいけど、馬に何かをさせようと力を入れすぎることなく、馬が気持ちよく動けるように、何気なく背中を押す感じで騎乗できれば…自分が自信なく乗ったり、それでいて鞭を意味もなく使うなどは論外だ。
これも言うのは簡単なんだけど、騎乗しているときはかなりのマルチタスクで、自分の判断や反応が遅くてもトラブルは起こるものだ。何事も力をいれすぎたり、自分が先走ったり…うまくいかないのは普段の人の生活でも同じこと。
トラブルといえば、長いこと馬に騎乗していてみごとに「落ちた~」というのが一度だけある。それでも落馬未遂は何度もあるので、今度思い出してみよう。
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