乗馬-馬の性格もいろいろ ― 2021年11月01日

毎週、通っている倶楽部で騎乗する馬は、練習の内容に合わせて配馬してもらえるのがありがたい。ほぼ毎回決まった馬に乗ることになるのだけど、人と同じでそれぞれの性格が違うのでおもしろい。
S嬢は、オランダ生まれの21歳。貫禄ある馬体で甘えん坊。
障害も飛んでいたことのある大きくボリュームのある馬。
馬体が大きいのに頭を下げるくせがあり、練習では後躯を動かしながら頭を上部に安定させての推進の継続に苦労している。
Jくんは、U.S.A生まれの元気な9歳馬。とても食いしん坊。
元競走馬だったこともあり反応もよく、うまく制御しないとかなり動きが早いので、馬も馬術仕様のゆったりとした駈歩などの練習中。
Pちゃんは、来たばかりのころは馬場に一番先に出て仲間がいないとわかるとヒヒーンと泣いてたビビりの馬。あちらこちらをうかがっては耳を倒してそわそわしていた。それが最近はまわりの様子や仲間たちとの力関係もわかってきたのか、葦毛の馬にちょっかいを出すようになって…内弁慶か…。
先にSに乗ってからJに乗り替わることが多いが、このSという馬がかなり大きな馬体をしている。騎乗するとJの2~3割増しくらいは横幅があり、その背に乗って馬体に内腿をつけての脚での制御は腹筋背筋はもちろんのこと、股関節と骨盤周りの力をかなり使うことになる。そして、頭を下げがちなので手綱にかかる力もとても強いが、綱引きをしないようにハミをとらせて制御しなければならないので気が抜けない。
その後にJに乗り換えると細身なので楽なこと…。まるでSで最初に股関節を思い切り使ってのストレッチをしてからJに乗るようなパターンが定着している。
ある日のこと、私が騎乗する前日にPちゃんが他の馬にちょっかいをだしたらしい。その被害にあった馬に乗ることに…数頭で馬場にいると他の馬が近づいてくるだけで、またやられるとでも思うのか耳を伏せその場で急に止まったり、速歩になったりと…その日は馬を落ち着かせることに始終した。
馬場での騎乗も終わり馬を厩舎に帰すと、なんと休むべき場所がPちゃんの前の馬房なのに気づいた。ゆっくりとできないのではと思っていたら、案の定翌日には他の厩舎に引っ越しとなり、Pちゃんとはしばらく顔を合わせることもないようで少し安心する。
その次の回は今度はPちゃんに乗ることに…少しの扶助の違いでも全く動かなくなることもある馬だけど、他の馬についていきやすいことを利用してタイミングをはかって推進の合図をする。けれど、前の馬に近づきすぎてもちょっかいを出すような仕草を数回したので、いけないということを教える。…といっても、軽く襲うような動きなので自分もバランスを取りながら体勢を整え、だめだと合図すること数回。
馬も仕事とはいえ、人が騎乗する時には少しでもストレスや痛みを与えないようにしないといけない。それにしても人間と同じく馬の世界にもいろいろあるようだ(-_-;)
S嬢は、オランダ生まれの21歳。貫禄ある馬体で甘えん坊。
障害も飛んでいたことのある大きくボリュームのある馬。
馬体が大きいのに頭を下げるくせがあり、練習では後躯を動かしながら頭を上部に安定させての推進の継続に苦労している。
Jくんは、U.S.A生まれの元気な9歳馬。とても食いしん坊。
元競走馬だったこともあり反応もよく、うまく制御しないとかなり動きが早いので、馬も馬術仕様のゆったりとした駈歩などの練習中。
Pちゃんは、来たばかりのころは馬場に一番先に出て仲間がいないとわかるとヒヒーンと泣いてたビビりの馬。あちらこちらをうかがっては耳を倒してそわそわしていた。それが最近はまわりの様子や仲間たちとの力関係もわかってきたのか、葦毛の馬にちょっかいを出すようになって…内弁慶か…。
先にSに乗ってからJに乗り替わることが多いが、このSという馬がかなり大きな馬体をしている。騎乗するとJの2~3割増しくらいは横幅があり、その背に乗って馬体に内腿をつけての脚での制御は腹筋背筋はもちろんのこと、股関節と骨盤周りの力をかなり使うことになる。そして、頭を下げがちなので手綱にかかる力もとても強いが、綱引きをしないようにハミをとらせて制御しなければならないので気が抜けない。
その後にJに乗り換えると細身なので楽なこと…。まるでSで最初に股関節を思い切り使ってのストレッチをしてからJに乗るようなパターンが定着している。
ある日のこと、私が騎乗する前日にPちゃんが他の馬にちょっかいをだしたらしい。その被害にあった馬に乗ることに…数頭で馬場にいると他の馬が近づいてくるだけで、またやられるとでも思うのか耳を伏せその場で急に止まったり、速歩になったりと…その日は馬を落ち着かせることに始終した。
馬場での騎乗も終わり馬を厩舎に帰すと、なんと休むべき場所がPちゃんの前の馬房なのに気づいた。ゆっくりとできないのではと思っていたら、案の定翌日には他の厩舎に引っ越しとなり、Pちゃんとはしばらく顔を合わせることもないようで少し安心する。
その次の回は今度はPちゃんに乗ることに…少しの扶助の違いでも全く動かなくなることもある馬だけど、他の馬についていきやすいことを利用してタイミングをはかって推進の合図をする。けれど、前の馬に近づきすぎてもちょっかいを出すような仕草を数回したので、いけないということを教える。…といっても、軽く襲うような動きなので自分もバランスを取りながら体勢を整え、だめだと合図すること数回。
馬も仕事とはいえ、人が騎乗する時には少しでもストレスや痛みを与えないようにしないといけない。それにしても人間と同じく馬の世界にもいろいろあるようだ(-_-;)
蜷川実花展-虚構と現実の間に ― 2021年11月03日

上野の森美術館で開催されている「蜷川実花展 ー虚構と現実の間にー」を観に行った。
会場には鮮やかな色彩の花々の写真~様々なオブジェや映像で飾られた蜷川実花の世界が広がっていた。その一角に病に倒れた実父である蜷川幸雄氏を包む日常風景の記録があったのが印象的だった。父が死に向かい命が終わるまでのものがたり…。
父の死が近いことを悟ってからの心象が、抽象的でありながら自分を包む美しい風景のひとこまに重なっているような儚さを感じた。
上野の森には黄色く色づいた葉が広がりつつある。
上野の森美術館 https://www.ueno-mori.org/
蜷川実花展 ー虚構と現実の間にー https://ninagawa-exh.com/
蜷川実花公式サイト
https://mikaninagawa.com/
写真はFBのアルバムに掲載
https://www.facebook.com/harumi.maezawa.1/posts/4643362872390298
会場には鮮やかな色彩の花々の写真~様々なオブジェや映像で飾られた蜷川実花の世界が広がっていた。その一角に病に倒れた実父である蜷川幸雄氏を包む日常風景の記録があったのが印象的だった。父が死に向かい命が終わるまでのものがたり…。
父の死が近いことを悟ってからの心象が、抽象的でありながら自分を包む美しい風景のひとこまに重なっているような儚さを感じた。
上野の森には黄色く色づいた葉が広がりつつある。
上野の森美術館 https://www.ueno-mori.org/
蜷川実花展 ー虚構と現実の間にー https://ninagawa-exh.com/
蜷川実花公式サイト
https://mikaninagawa.com/
写真はFBのアルバムに掲載
https://www.facebook.com/harumi.maezawa.1/posts/4643362872390298
千葉市美術館-福田美蘭展 ― 2021年11月23日

南房総への旅の途中、千葉市美術館を訪れた。
福田美蘭氏の作品を観るのは初めてのこと。
それにしても、千葉市美術館のコレクションに多数の江戸時代~の錦絵や浮世絵、北斎や若冲らの作品が揃っていることに驚いた。それらを題材に現代の表現へと変換していく中で、光と影について問いていく過程がとても興味深かった。
「月と行燈の光はちがう」
またそれらによってできる影やその色の違い…なんて繊細な感覚だろう。写真を撮っていると光と影というのはいつも考えさせられるキーワードだ。その影響によってカメラにおさめたものが、ただの記録となるか…佇まいまで表現した一枚になるか…歴史的な作品から考察して作られた各々の作品の密度の濃さに時間をかけてまわった。
その後…秋の青空の下に現れた房総半島から眺める富士山がいつもとは少し違って見えた。
----- 展覧会概要より -----
福田美蘭(1963-)は、東京藝術大学を卒業後、最年少での安井賞や国際展での受賞等、国内外での活躍を通して独自の作風を切り拓き、絵画の新たな可能性に挑戦し続けています。人びとの固定観念を覆し、新たなものの見方や考え方を提案する福田の芸術は、単なる絵画という枠にとどまらず、豊かな発想力によって独自の展開を遂げてきました。
千葉市美術館 福田美蘭展
https://www.ccma-net.jp/exhibitions/special/21-10-2-12-19/
写真はFBのアルバムに
https://www.facebook.com/harumi.maezawa.1/posts/4688251401234778
福田美蘭氏の作品を観るのは初めてのこと。
それにしても、千葉市美術館のコレクションに多数の江戸時代~の錦絵や浮世絵、北斎や若冲らの作品が揃っていることに驚いた。それらを題材に現代の表現へと変換していく中で、光と影について問いていく過程がとても興味深かった。
「月と行燈の光はちがう」
またそれらによってできる影やその色の違い…なんて繊細な感覚だろう。写真を撮っていると光と影というのはいつも考えさせられるキーワードだ。その影響によってカメラにおさめたものが、ただの記録となるか…佇まいまで表現した一枚になるか…歴史的な作品から考察して作られた各々の作品の密度の濃さに時間をかけてまわった。
その後…秋の青空の下に現れた房総半島から眺める富士山がいつもとは少し違って見えた。
----- 展覧会概要より -----
福田美蘭(1963-)は、東京藝術大学を卒業後、最年少での安井賞や国際展での受賞等、国内外での活躍を通して独自の作風を切り拓き、絵画の新たな可能性に挑戦し続けています。人びとの固定観念を覆し、新たなものの見方や考え方を提案する福田の芸術は、単なる絵画という枠にとどまらず、豊かな発想力によって独自の展開を遂げてきました。
千葉市美術館 福田美蘭展
https://www.ccma-net.jp/exhibitions/special/21-10-2-12-19/
写真はFBのアルバムに
https://www.facebook.com/harumi.maezawa.1/posts/4688251401234778
車の自動ブレーキに助けられたのか? ― 2021年11月30日

毎日の生活に自動車での移動はかかせないものになっている。
今でも仕事や打合せはタブレットひとつあれば、日本中(海外でも)いつでもどこでも対応できることがほとんどの日々。
けれど現場に行くことも時にはあるので、都内に住んでいても自分のやりたいことも併せてを効率的に実行するためには車は必須である。仕事でクライアント先に打合せに行った帰りに買い物や家族の送迎をして…またそういう日々の合間に旅行に行き、馬に乗り、時には温泉でからだを温めてから帰宅する…などなど。
数年前の自宅の車の入れ替え時に、家族がみな高齢になったこともあり、より頑丈で他の人にできるだけ迷惑をかけないようにということで「衝突回避・被害軽減ブレーキ」搭載車を選択した。
何かあったときに、とっさに対応できるようにという予防策だけど、新たな車に乗り始めた頃は実際にどのように効果があるのかわからずに毎日乗っていた。
ある日、初自動ブレーキを体感してびっくりする。
商店街の道を通り抜けようとして、片側に止まっていた宅急便の車の横を通り過ぎたとき、「ピーピーピー」と音がして、車がグワーッと減速した。初めて聞く音と予期しない車の動きに何が起こったのかと心拍数があがる思いだったことを覚えている。
宅急便の配達の人が運転席にもどってきて、通過する車を確認せずに運転席側の道路に出ようとしたのだ。飛び出したわけでもないのと、こちらも減速していたので何事かと最初はわからずにいたが、「そのまま両者が進むとぶつかるよ」ということだったらしい。急なブレーキでなくても、こちらがわかっていても予測して減速してくれるようだ。
この時から車のセンサーの効き方を少しずつ覚えたが、しばらくはその音にびっくりすることになる。猛暑で伸びすぎて歩道からはみだした雑草の横を通りすぎるだけで警告音がでることにもあった(この時はブレーキはかからない)。
別の日、自宅から住宅街の道を自転車で駅に向かっていた。
横道からタクシーがやってきた。車1台半が通れるくらいの一方通行の道なので、近くまでいかないと車は見えない。その交差する横道の前をゆっくりと通りすぎようとした時、自分のすぐ横でタクシーが急にガックリとするようなおかしな止まり方をした。(通行人もいるのでこちらも減速していた)
自転車でそれをやり過ごしながらバランスをとり、そこを通過することに気が集中していたので、なんでこんなに近いところに止まるんだろうと思ったけど、ぶつからなかったのでちょっと振り返っただけでそのまま行き過ぎたが…。
後でよく考えたら、そこは一時停止しなければいけない交差点で車のブレーキ音も機械的だったのと通行人が何人か見ていたのを思い出して、もしかしてタクシーの運転手が一時停止しないで、自転車にぶつかる直前で自動ブレーキがかかったのかもしれないと思った。何しろ自分との距離は30cmもなかったのだ。
これって、自動ブレーキに助けられたのかも?? と思うと搭載車ではなかったら、運が悪かったら、自分は大けがをしたりこの世にはいなかったかもとゾっとした。
ここのところ、自動車の事故が本当に多い。連日の移動時も、都内で交通量が多いということもあるが1~2件は現場を通り過ぎる。
自分の車は、アクセルを離すだけでブレーキ(減速)がよく効く車でブレーキに足をかけるのも停止するときくらい (参加したことはないが、この車の運転講座もあるようだ)…そのせいか、アクセルを踏み過ぎてすぐにブレーキをかけている人を見ると、「そんなに交通量の多い道を自分が進もうと踏み込まなくても」と危なげに見ている。車の速度の速い都心やカーブや分岐の多い首都高などでは、特に他の車の流れにのれていないとかなり危ない。
最近は自分が注意していても、後ろから衝突されたり、運転ミスで事故に巻き込まれたりするニュースが多くなってきた。運転も他人事ではなく自分も運転歴が数十年にもなるからこそ、より無意識な慣れに要注意だなと思う今日この頃…。
今でも仕事や打合せはタブレットひとつあれば、日本中(海外でも)いつでもどこでも対応できることがほとんどの日々。
けれど現場に行くことも時にはあるので、都内に住んでいても自分のやりたいことも併せてを効率的に実行するためには車は必須である。仕事でクライアント先に打合せに行った帰りに買い物や家族の送迎をして…またそういう日々の合間に旅行に行き、馬に乗り、時には温泉でからだを温めてから帰宅する…などなど。
数年前の自宅の車の入れ替え時に、家族がみな高齢になったこともあり、より頑丈で他の人にできるだけ迷惑をかけないようにということで「衝突回避・被害軽減ブレーキ」搭載車を選択した。
何かあったときに、とっさに対応できるようにという予防策だけど、新たな車に乗り始めた頃は実際にどのように効果があるのかわからずに毎日乗っていた。
ある日、初自動ブレーキを体感してびっくりする。
商店街の道を通り抜けようとして、片側に止まっていた宅急便の車の横を通り過ぎたとき、「ピーピーピー」と音がして、車がグワーッと減速した。初めて聞く音と予期しない車の動きに何が起こったのかと心拍数があがる思いだったことを覚えている。
宅急便の配達の人が運転席にもどってきて、通過する車を確認せずに運転席側の道路に出ようとしたのだ。飛び出したわけでもないのと、こちらも減速していたので何事かと最初はわからずにいたが、「そのまま両者が進むとぶつかるよ」ということだったらしい。急なブレーキでなくても、こちらがわかっていても予測して減速してくれるようだ。
この時から車のセンサーの効き方を少しずつ覚えたが、しばらくはその音にびっくりすることになる。猛暑で伸びすぎて歩道からはみだした雑草の横を通りすぎるだけで警告音がでることにもあった(この時はブレーキはかからない)。
別の日、自宅から住宅街の道を自転車で駅に向かっていた。
横道からタクシーがやってきた。車1台半が通れるくらいの一方通行の道なので、近くまでいかないと車は見えない。その交差する横道の前をゆっくりと通りすぎようとした時、自分のすぐ横でタクシーが急にガックリとするようなおかしな止まり方をした。(通行人もいるのでこちらも減速していた)
自転車でそれをやり過ごしながらバランスをとり、そこを通過することに気が集中していたので、なんでこんなに近いところに止まるんだろうと思ったけど、ぶつからなかったのでちょっと振り返っただけでそのまま行き過ぎたが…。
後でよく考えたら、そこは一時停止しなければいけない交差点で車のブレーキ音も機械的だったのと通行人が何人か見ていたのを思い出して、もしかしてタクシーの運転手が一時停止しないで、自転車にぶつかる直前で自動ブレーキがかかったのかもしれないと思った。何しろ自分との距離は30cmもなかったのだ。
これって、自動ブレーキに助けられたのかも?? と思うと搭載車ではなかったら、運が悪かったら、自分は大けがをしたりこの世にはいなかったかもとゾっとした。
ここのところ、自動車の事故が本当に多い。連日の移動時も、都内で交通量が多いということもあるが1~2件は現場を通り過ぎる。
自分の車は、アクセルを離すだけでブレーキ(減速)がよく効く車でブレーキに足をかけるのも停止するときくらい (参加したことはないが、この車の運転講座もあるようだ)…そのせいか、アクセルを踏み過ぎてすぐにブレーキをかけている人を見ると、「そんなに交通量の多い道を自分が進もうと踏み込まなくても」と危なげに見ている。車の速度の速い都心やカーブや分岐の多い首都高などでは、特に他の車の流れにのれていないとかなり危ない。
最近は自分が注意していても、後ろから衝突されたり、運転ミスで事故に巻き込まれたりするニュースが多くなってきた。運転も他人事ではなく自分も運転歴が数十年にもなるからこそ、より無意識な慣れに要注意だなと思う今日この頃…。
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